その他

飯田村の若山―二(わかやまいちじ)氏が小畑小学校に荻生徂徠の軸を寄贈した。軸は、現在養北小学校の校長室に掲げられている。

段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。
戦国時代は
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段海村には淡海城(だんかいじょう)という城があった。城主は織田信長が西美濃から大垣を攻める大垣城攻略のために派遣した、尾張津島神社の神官の次男、祖父江国舎(そぶえくにのり)である。津島神社の神官は昔から現在に至るまで祖父江という姓を名乗っている。
祖父江国舎
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室町時代(1429-1441)に多芸郡内の16箇村の庄屋や地主が30年に亘って懸仏を寄進した。現在懸仏は多岐神社に保管されている。
郡史p.502、町史p.412によれば、永享8年(1436)に多芸郡渋江郷源之定政(みなもとの さだまさ)氏が寄進したという墨
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兵役から帰った人の中には戦争犯罪人とされ、教壇には立てなかった人もいた。当時の教頭、大久保源吾氏に民主主義に関する本を薦められて読んだ。
民主主義となり、教員に適格検査が課せられた。郡役所で、南濃県事務所から派遣された課長が実施した。大久保源吾氏から軍隊式の
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