タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

その他 | タギゾウくんの養老ノート | Page 16
ブラウザを認識できませんでした
レイアウトが崩れる可能性があります
(サポート対象:FireFox,Chrome,IE8以降等)

その他

笠郷の若連中制度

正式名称は「若連中」だが、単に「若い衆」 ともいった。高等小学校卒業後(17歳)~結婚するまでの独身男性の集まりで、祭典行事を行った。若い衆に入れば、村役では一人前になれた。当時は、23、4歳で結婚する人が多く、遅くとも25歳までには結婚した。

古地図にみる養老公園

昔の養老公園の地図によると偕楽社は千歳楼(せんざいろう、養老1079)からかなり離れ、養老鉄道の貸地と書いてある場所に描かれている。ただし「偕」楽社ではなく、「階」楽社となっており、誤植なのか何らかの意味があるのかは不明である。 A氏の記憶では、偕楽社は養老 [...]

菊水泉

養老は水が良いことで知られており、中でも菊水泉は名水100選に選ばれている。明治23年(1890)に大垣で日比野鉱泉を創業した日比野寅吉(ひびのとらきち)氏は養老の名水を知り、明治33年(1900)に工場を養老に移した。菊水泉の水を利用して作った炭酸飲料の養老 [...]

養老公園周辺の昔の子供の遊び

観光旅館清風楼(せいふうろう、岐阜県養老公園1285)の2012年現在の2代目の当主、A氏が子供の頃、昭和30年代は妙見堂へ上がる東側の道路には、冬になると雪が1mくらい積もった。A氏はスキーで下まで滑って行った記憶がある。たまに坂から下に落ちたが、雪があった [...]

皇太子の養老行啓

昭和32年(1957)7月18日、今上天皇が皇太子の頃に養老町を行啓された。当時は養老町の新町制が制定されて間もない頃である。A氏が通っていた養老南小学校は、皇太子を豆馬亭(とうまてい、岐阜県養老公園1282)の前でお迎えした記憶がある。皇太子は、養老神社、菊 [...]