地名

A氏のご祖父が大垣へ勉強に通っていた明治の半ば頃、大垣へ行くには、金草川を渡るのに作造橋(さくぞうばし)を通って烏江へ行った。烏江駅のそばの渡船場から、牧田川を大垣側へ渡船で渡り、歩いて学校に行った。
A氏が子どもの頃、昭和10年代も、ご祖母の在所である大垣
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広幡地区の、岩道と西岩道は、岩道が本村で、そのあとに西岩道ができた。
岩道の地名の由来は、分からない。

養老町の別庄(べっしょう)は、かつては別所(べっしょ)と言った。言葉に応じて字を当てはめるので漢字も「所」から「庄」に変わった。別庄という地名は通称で、実際の地名は地図には字天待(てんまち)字岡山と書かれている。
別庄には、別所寺(べっしょじ)があり古い歴史
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明徳4年(1393)に足利義満(あしかがよしみつ)が養老観瀑に訪れた際、津屋川(つやがわ)を船で上り、明徳(みょうとく)の湊から上陸し養老の滝を訪れた。義満が上陸した最寄りの神社が養老町明徳の船着神社(ふなちゃくじんじゃ)であるといわれている。船着神社の由緒書
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鷲巣(わしのす)の生業は農業が多い。
昔は津屋川の堤防の西側もすべて田んぼであった。現在人が住んでいるような、土地が高くなっている所には田んぼはなかった。
字神屋田(かみやだ)全体と、白山神社の西も田んぼであった。
昔田んぼだった所が、今では畑や雑地にな
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