美濃の中道
美濃の中道はいつ頃からあったのかは不明であるが、室町末期には消失したと思われる古道である。美濃の中道がいつ頃山家道(やまがみち)と名称が変わったのかも不明であるが山田用水の牧田川取り入れ口のすぐ下流側の道を九里半街道山家道とよんでいた。 沢田から乙坂に渡って [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
名所・旧跡
美濃の中道はいつ頃からあったのかは不明であるが、室町末期には消失したと思われる古道である。美濃の中道がいつ頃山家道(やまがみち)と名称が変わったのかも不明であるが山田用水の牧田川取り入れ口のすぐ下流側の道を九里半街道山家道とよんでいた。 沢田から乙坂に渡って [...]
丸毛兵庫頭(まるもひょうごのかみ)は明応5年(1496)に多芸の大墳城主になった。兵庫頭は秀吉に願い出て、福束城(輪之内町福束)を与えられ、領地も1万石から2万石に増えた。自分の妻・丸毛不心斎(まるもふしんさい)女房(61、62歳)を関白秀次の妾として出してい [...]
村上弁二氏の随想によれば、養老町の養老公園の高林(=白石官林、白石住民は御林と呼んでいた)の中央にあたる地域を昔から天狗の小場(てんぐのこば)と呼んだ。天狗の小場の中央に明治初年まで小さな祠があり、地元の人は元宮と言っていた。元宮から西方へ200m離れた地点を [...]
豆馬亭(とうまてい、養老公園1282)から養老説教場へ向かう道の途中、北側に白山神社跡がある。白山神社跡地だけは、養老寺の地所である。神社跡には社はないが社の石積みが残っている。養老説教場への道が出来てから多少変わったと思うが、昔は松原(御林)のあたりまで養老 [...]