先人

烏江には、庄屋で200年以上も続いた吹原家がある。吹原家は代々勘兵衛(ふきはら かんべえ)を襲名した。吹原勘兵衛は、養老町の烏江湊の舟問屋を勤めた庄屋である。
関ケ原合戦の時、吹原勘兵衛(ふきはら かんべえ)氏が、舟で徳川の退去を手助けした。その恩として家康
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杭瀬川と牧田川の合流地点北、現在の牧田川の中心地の川敷内に砦程度ではあるが、烏江城があったと伝えられている。善正寺文書によれば文明4年(1472)の頃は、吹原久内左衛門重時善正(ふきはらひさうちざえもん しげとき ぜんしょう)が城主であった。善正寺の住職吹原竜
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現在島田八幡神社前に置かれている馬頭観音は、昔江月村の吹原和平(ふきはら わへい)氏により牧田川の堤防の上に建てられていたものである。
島田の野村氏が南濃地方事務所で16mmフィルムの撮影技師として各地域を回っていた。

大和町、横町、城前町の通りが入り組んでいるのは花柳界であった為、身を隠せるような作りになっている。かつて城前町の辺りに高田城があった。千秋家は、高田城と関わりがあるという人もいる。
高田185-1南の道は細い道だが、口ヶ島から五日市への往環道だった。原泉堂(
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