上石津町と養老町
養老には文化人がいない。江口夜詩に代表される上石津町は殿様の町として、文化的な基盤ができており文化レベルが高い。旗本高木家陣屋のある上石津町宮を中心として木田家など文化的なことに関心が高い人が多いように思う。昭和初期、上石津町の学生は進学の為、大垣市や岐阜市で [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
教育
養老には文化人がいない。江口夜詩に代表される上石津町は殿様の町として、文化的な基盤ができており文化レベルが高い。旗本高木家陣屋のある上石津町宮を中心として木田家など文化的なことに関心が高い人が多いように思う。昭和初期、上石津町の学生は進学の為、大垣市や岐阜市で [...]
A氏のお母様のご実家は垂井市の岩手(いわで)である。 当時高田の辺りでは、会社に勤めに出ることが珍しく、農協か役場しか勤める所がなかった。A氏のお父様は農協の組合長をしていたが、あまり仕事で忙しくしている感じではなかった。 家は呉服屋をしていた。戦時中、木 [...]
冨長蝶如(とみなが ちょうにょ)氏は、静丸(しずまる・本名。号は覚静(かくせい))氏とかぎ氏夫妻の長男として、明治28(1895)年9月1日に生まれた。蝶如は号である。弟が1人おり、息子に覚梁(かくりょう)氏がいる。 昭和63(1988)年12月31日に93 [...]
明治17(1884)年に時習学校と立心第二学校が合併して、生徒数30人程度の口ヶ島学校ができた。初代校長は戸倉谷三郎氏、教員は2名であった。 その後5つの村で広幡小学校を作った。当時は、教員免許はなく、村の中から指導ができる知恵を持った人がやっていた。免許は [...]