橋爪の教育
江戸末期には村上杏園(むらかみ きょうえん)先生が橋爪の自宅の近くで私塾、博済室(はくさいしつ)を開いていた。 明治6年(1873)、橋爪の念長寺で日吉小学校の前身となる日新義校が開かれた。また同年、同じく日吉小学校の前身となる到遠(ちおん)義校が宇田に開か [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
教育
江戸末期には村上杏園(むらかみ きょうえん)先生が橋爪の自宅の近くで私塾、博済室(はくさいしつ)を開いていた。 明治6年(1873)、橋爪の念長寺で日吉小学校の前身となる日新義校が開かれた。また同年、同じく日吉小学校の前身となる到遠(ちおん)義校が宇田に開か [...]
仁位は、本村宇田との関係が深かったが、橋爪・金屋とはあまり関係がなかった。ただ、橋爪若宮八幡宮をまつる加藤家とは関係がある。 仁位は昔は19戸で分家も少なかった。現在30戸数前後にはなったが戸数の増加は近隣の村と比較しても最も少ないであろうが、戸数が少ない分 [...]
徳願寺は蓮如上人の弟子であった伊豆の伊東彦重郎(いとう ひこじゅうろう)氏が夢のお告げで安久に移ってきて、応仁2年(1468)に創建されたといわれている。徳願寺の近所に住むA氏の先祖も伊豆から伊東彦重郎とともに移ってきた。徳願寺は江戸時代には寺子屋として使われ [...]
西徳寺は開基してから約630年を経過し、平成22年の現住職で22代目となる。長享元年(1487)に初代住職が亡くなったとの記録がある。転派して浄土真宗になる寺院が多いが、西徳寺は開基から浄土真宗の末寺として列している。本堂は再建後180年程経過している。濃尾地 [...]
未婚の女子で構成される処女会という会があった。華道や和裁を習ったり、敬老会のボランティアなど自主的に行っていた。 どこで活動を行っていたかは不明である。