タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

災害 | タギゾウくんの養老ノート | Page 8
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災害

滝谷の所有

養老山の滝谷は島田が所有していたが、度重なる水害により山を維持することができなくなり白石に売却した。滝谷は年貢が高く、島田では維持が困難になったためである。 養老山の滝谷から南側の土地を、北から押越、島田、直江の並びでそれぞれ支配していた。現在養老山の一部を [...]

明徳の生活水

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明徳簡易水道は昭和20年ごろに引かれ、明徳のみで使用されてきた。今も水道組合が残っている。日比建創(明徳289-5)の近くに水源がある。ほとんどすべての家で町営水道と合わせて上水道管が2本ある。下水道が完備されたのは高田に次いで町内2番目である。また、4mほど [...]

唐谷(火打谷)

唐谷(からたに)と菊水泉の落ち水を千歳楼の別館の側に落とし、その近くに神戸文左衛門(かんべぶんざえもん)が別荘を建て、街道から公園事務所の水道を一番最初に整備した。 大正年間に養老鉄道や鍛冶屋が引いていた水道や、火打谷(唐谷)から公園事務所への水道は2010 [...]

白石村の石工

白石村には石工が何人かいた。ヨハネス・デレーケが設計したといわれる滝谷の堰堤も、白石村の石工が石積みを組んだといわれている。石工の石組頭は藤塚久治氏の先祖の藤塚臣右衛門(ふじつか しんえもん)氏が務めた。その中の最後の石工の藤田禊(ふじた みそぎ)氏が柏尾谷の [...]

薩摩義士の砂防工事

養老バーベキュー(養老1173-5)から柏尾谷へ向かう所にある砂防工事跡は、「養老町の古道p.52」によれば、薩摩義士によるものである。津屋川に土砂を流さないために、災害の時は津屋川と反対側に土砂を落とすようになっていた。