交通

明治の頃までは多芸橋は大きな橋ではなく、木造の小さな橋であった。

横屋330のA氏宅の東側の道路は昔、川で船着場があった。一色の人はここまでは荷物を牛で運び、ここからは笹舟で荷を運ぶ為にA氏宅の垣根の槙に牛を繋いで行った。牛の角で擦られて槙が枯れてしまうので、A氏の祖父が「牛繋ぐな」と張り紙をしたが他に繋ぐ所がないので仕方な
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金草川はコンクリートの水路になってしまったため、蛍がいなくなった。
島田に比べて押越は禄高が低くて堤防が高くできなかったため水に浸かりやすい。特に押越の西部の土地は低い。伊勢湾台風の時は養老鉄道まで水に浸かった為、金草川に樋門を作った。
昭和30年代に、水
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明治の頃まで高田橋は大きな橋ではなく、木造の小さな橋であった。
昭和29年(1954年)に高田中学を卒業した飯田在住の方によれば、高田橋は昭和27年頃(1952年頃)の台風や豪雨で頻繁に流されてしまい、中学に通う3年間で何度も牧田川の河床を歩いた。台風などで
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栗笠湊から九里半街道の碑のある場所までの街道の道筋ははっきりとしない。
九里半街道は農協のあたりから金草川の北側、下の堤防あたりではないかと考えている。そのあたりの道であれば高田の町に入るにも地の利がある。
口ヶ島字寺田地内の屋敷に道標がある。
九里半街
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