信仰

昭和20年代から30年代にかけて、正月の食事はほとんど餅であった。家で作ったもち米で、餅を四升臼で20回位搗いた。四升臼1回を80個に切った。かき餅やあられも作った。親戚の家を順番に臼を持って回って餅つきを行った。
おせち料理もあったが立派なものではなく、餅
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昭和20年代には押越で土葬をしていた記憶はない。押越には早くから火炉があり、威張っていた。
勢至では穴を掘り、長時間火が起きているように藁で遺体を包んで燃やしていた。A氏が勢至に遊びに行った時に、偶然火葬している所を見たことがある。
押越の墓地は、蔓草や木
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八幡神社(押越)の南の富貴繁盛不動明王(ふうきはんじょうふどうみょうおう)は、昔あった日比鉄工、現在の養老鉄工の人が信仰しており、個人で管理していたが、面倒を見切れなくなり、あの場所に伽藍を建てた。八幡神社の境内にある白龍さんも元は日比氏が個人で管理しており、
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高田地区押越在住のA氏の家は、鷲巣の専明寺の門徒である。専明寺は、元は勢至にあったそうである。一時は勢至が栄えていたので、A家も昔は勢至に居たのではないだろうかと思う。
押越には正覚寺(安久)の門徒も多いが、専明寺の門徒も何軒かある。
他には願林寺(垂井町
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押越は、大きくは4つの地区に分かれているが、更にそれを2つずつの地区に分け、地域の行事はそれら8つの地区ごとに行っている。区全体をまとめるのは区長会の親方であった。
押越全体の行事は色々とあるが、その中でも大般若経を読む会は大きい行事である。大般若経を読む会
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