その他

高田の映画館(劇場)は、終戦後にスーパー養老の前に出来た。その映画館で、志村喬の「生きる」を観て、感動した記憶がある。他には春日八郎などが来ていた。今は空き地になっている。
昭和30年代前半には、中学生は大垣へ映画を観に行っていた。

高田地区押越在住のA氏の家は、鷲巣の専明寺の門徒である。専明寺は、元は勢至にあったそうである。一時は勢至が栄えていたので、A家も昔は勢至に居たのではないだろうかと思う。
押越には正覚寺(安久)の門徒も多いが、専明寺の門徒も何軒かある。
他には願林寺(垂井町
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昔は、何かといえば芸者を呼んだ。青年団や消防団などで酒を飲む時はもちろん、法事の時でも芸者を呼んだことがある。
高田に住んでいたA氏(2012年現在77歳)のお父様は、青年団とは関係なく、毎晩高田地区字北浦の置屋へ遊びに行っていた。芸者買いをするお金はなかっ
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大正~昭和期に中国のエリート中のエリートが数多く国費留学で来日した。郁達夫(いく たっぷ)氏(1896年-1945年)は兄と共に来日した留学生の内の一人であった。郁達夫氏は旧制第八高等学校(八高、現在の名古屋大学)に、兄の郁曼陀(いく まんだ)氏は現在の岡山大
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服部承風(はっとり しょうふう)氏は、漢学の第一人者・服部担風(はっとり たんぷう)氏の孫で、本名を服部靖という。全日本漢詩連盟副会長、朝日カルチャーセンター講師を務められた。
承風氏は中学生の頃に、日曜日に冨長蝶如(ちょうにょ)氏の講義を聞きに来ていた。漢
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