広幡

戦時中は日本中で兵隊送りという、出征兵士を送る行事があった。兵士を先頭にして、軍楽(ぐんがく)隊(またはラッパコ隊)がいて、ラッパを吹き、日の丸を振って烏江の駅まで送り出した。
A氏が広幡小学校1年生の頃の昭和10年代後半、同級生と下校中に、知らない人が写真
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烏江のあたりに女郎屋や飲み屋があった。2012年現在で80代前半くらいまでの岩道の人は遊びに行ったかもしれない。
岩道のあたりで、遊んで身上を潰した人は聞いたことがない。女郎屋といっても御殿女中のような構えではなく、田舎の小奇麗な家の中に、女性が2、3人いて
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岩道は、1軒に1つ井戸がある。養老町内は場所によって一時期、排水の問題で井戸を掘るのに制限があったが、岩道で制限がかかったことはなかった。
2012年現在もお宮さん(早扉神社)に掘りかけている井戸がある。
上水道ができてからは、昔のように全戸に井戸があるわ
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飯ノ木(はんのき)の源氏橋の西側に昔あった、船繋石(ふなつなぎいし)という大きな岩は、昭和30年代後半の耕地整理の時に何処かに移動された。
A氏が子供の時に聞いた話では、鎧掛(よろいかけ)の榎は飯ノ木の西側、逆葦(さかさよし)は飯ノ木の集落の南にあった。

養老公園に芭蕉の句碑が昔から多くあるのは珍しいと思う。芭蕉の流れを汲む人が広幡には多く、また、船附の人が芭蕉の句碑を建立するなど、芭蕉に関する知識を持つことや、句碑を建立するのはお大尽にとっての遊びやたしなみの一つであったのではないかと考えられる。このようなこ
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