広幡

昭和20(1945)年12月に福井大地震が起こった時、A氏はちょうど学校から帰る所だった。立っていられなくて、皆堤防の中腹に倒れ込んでしまった。岩道の家に帰ると、下駄箱がひっくりかえり、色々な物が折れていた。折れた柱を戻して、ブリキで挟んで直した。地震の被害は
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戦時中は日本中で兵隊送りという、出征兵士を送る行事があった。兵士を先頭にして、軍楽(ぐんがく)隊(またはラッパコ隊)がいて、ラッパを吹き、日の丸を振って烏江の駅まで送り出した。
A氏が広幡小学校1年生の頃の昭和10年代後半、同級生と下校中に、知らない人が写真
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烏江のあたりに女郎屋や飲み屋があった。2012年現在で80代前半くらいまでの岩道の人は遊びに行ったかもしれない。
岩道のあたりで、遊んで身上を潰した人は聞いたことがない。女郎屋といっても御殿女中のような構えではなく、田舎の小奇麗な家の中に、女性が2、3人いて
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岩道は、1軒に1つ井戸がある。養老町内は場所によって一時期、排水の問題で井戸を掘るのに制限があったが、岩道で制限がかかったことはなかった。
2012年現在もお宮さん(早扉神社)に掘りかけている井戸がある。
上水道ができてからは、昔のように全戸に井戸があるわ
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飯ノ木(はんのき)の源氏橋の西側に昔あった、船繋石(ふなつなぎいし)という大きな岩は、昭和30年代後半の耕地整理の時に何処かに移動された。
A氏が子供の時に聞いた話では、鎧掛(よろいかけ)の榎は飯ノ木の西側、逆葦(さかさよし)は飯ノ木の集落の南にあった。