タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

広幡 | タギゾウくんの養老ノート | Page 16
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広幡

田中耕馬

口ヶ島(くちがしま)の元庄屋は、田中耕馬(たなか こうま)氏である。戦後行われた農地改革まではかなりの力を持っていた大地主であった。2012年現在から4代前の口ヶ島の村長である。 田中耕馬氏は現在の広幡公民館周辺の土地に広い庭園と複数の蔵がある大きな屋敷を所 [...]

戦中戦後の広幡地区の様子

終戦間近の頃、A氏が台湾の西、温州の部隊に入隊していた。半年くらいで幹部候補生となり、集合教育の為に南京に移り、やがて終戦となった。飛行機が飛ばなくなったと思っていたら終戦を告げられ、玉音放送を聞いた。南京から上海で本体と合流、日本の佐世保に戻った。 昭和1 [...]

広幡地区の暮らしと住民

飯ノ木には商家が多かった。岩道には教員や大工が多かった。 2006年に南岩道出身のスノーボード選手、中島志保選手がトリノ五輪スノーボード日本代表として9位となった。公民館をベースに取材等に対応していた。 町民運動会では、唯一の部落対抗競技として綱引きを行う [...]

大跡新田

大跡新田の開発者は庄屋筋の戸倉家ではないだろうかと考えている。米がよく収穫できる土地であった。 大跡新田は農民によって開墾された土地である。 大跡新田の位置は宝暦年間(1751-1763)はまだ池であった。

大跡の土地

大跡(おおあと)は低い土地なので元々水がつきやすい。 大跡はかなり大きく、村の南に100町歩の土地がある。 大跡から高田へ抜ける町道の高さは今よりも高かった。昭和36(1961)年~昭和39(1964)年の土地改良の時に現在の高さになった。