あほ除
あほ除(よげ)は明暦2(1656)年に築かれた。 押越村(おしこしむら)から下笠村(しもがさむら)にかけては幕府領、尾張藩領、高須藩領などが入り組む土地であった。そのため、あほ除は尾張藩と高須藩の立ち合いのもと、口ヶ島(くちがしま)、西岩道、岩道、下笠、中島 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
養老
あほ除(よげ)は明暦2(1656)年に築かれた。 押越村(おしこしむら)から下笠村(しもがさむら)にかけては幕府領、尾張藩領、高須藩領などが入り組む土地であった。そのため、あほ除は尾張藩と高須藩の立ち合いのもと、口ヶ島(くちがしま)、西岩道、岩道、下笠、中島 [...]
口ヶ島に住むA氏によれば、戦時中の小学校の教育は、中学校へ進学する子が優先であったので、差別のようなものを感じていた。 厳しい教育で、雪が降った時に広幡(ひろはた)尋常高等小学校から養老公園の、かつて競馬場があった場所(字八千代あたり)まで裸足で走らされたこ [...]
浄誓寺(じょうせいじ、養老町石畑)の西の道を南に進むと燈明があり、その向かいの桜の木の下に青い屋根の地蔵堂(字南門)がある。地蔵堂の裏に流れる水路にはかつては谷からの水が流れ込んでおり、上流から流れてきた4体の石仏と、五輪塔の一部が地蔵堂に納められている。毎年 [...]
養老町石畑にあった椿井(つばい)という地名は、日本各地に多く存在する。 石畑のあたりはかつて椿井郷(つばいごう)と呼ばれていた事が浄誓寺文書に残っている。 浄誓寺付近の字名は東門(とうもん)というが、大きな門があったためこの字名が付けられたのではないだろう [...]