上方の弘法井戸
上方388-1の上あたりに弘法井戸と言われた井戸があったが埋まってしまった。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
養老
上方388-1の上あたりに弘法井戸と言われた井戸があったが埋まってしまった。
「養老町の昔ばなし」という本に、京ヶ脇のタイモン屋敷という話があり、大正時代の作家、田中セイゾウ氏(漢字不明)の話をもとに田中育次氏がまとめた。タイモン屋敷は京ヶ脇周辺を多右衛門屋敷もしくは、太右衛門屋敷と呼んでいたという資料があったが、どのような資料かは失念 [...]
長井生(ながいいきる)氏の先祖は、不破郡関ケ原町、今須の領主で、正平15年(1360)に青坂山妙応寺を創建した長江重金公の末裔である。応仁の乱の頃(1467年)に沢田に移り住み、その後庄屋として栄えた。 沢田は元禄3年(1690)に本郷組と町組に分かれ、本郷 [...]
養老町大巻高柳出身の山田貞策(やまだていさく)は大巻村村長・養老郡郡会議員・岐阜県議会議員などを歴任された。貞策はまた、様々な事業に取り組んでおり、主だったものだけでも福島県の八沢浦干拓事業(やざわうらかんたくじぎょう)、養老町白石の開墾、大巻の水害予防と排水 [...]