長井生(ながいいきる)氏の先祖は、不破郡関ケ原町、今須の領主で、正平15年(1360)に青坂山妙応寺を創建した長江重金公の末裔である。応仁の乱の頃(1467年)に沢田に移り住み、その後庄屋として栄えた。
沢田は元禄3年(1690)に本郷組と町組に分かれ、本郷組の庄屋を長江家、町組の庄屋を日比家が勤めていた。長江姓が長井姓に変わった経緯は不明である。
1771年に没した本郷の庄屋・長江又太郎の墓が沢田寺坂に存在する。
北尾春圃の弟、北尾春良が長井家(庄屋)に養子に入り、長井喜市郎(ながい きいちろう)として跡を継いだ。

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本郷組と町組の組分けに関しては「養老郡志p.890」にあり。 長江又太郎の墓(1771)、長江春兆の墓碑。詳細等は養老郡志にあり。 北尾春圃の墓は室原福源寺にあり。 表示位置は沢田の庄屋、長井家を示している。