多芸東部

明治中頃は小畑に小学校はなく、大坪の子どもは日吉小学校に通っていた。昭和18年(1943)に入学した時の小畑国民小学校は1クラス47名で、1学年1クラスしかなかった。その次の年の入学生は23名だった。校舎は建てかえられているものの、場所は変わっていない。
小
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兵役から帰った人の中には戦争犯罪人とされ、教壇には立てなかった人もいた。当時の教頭、大久保源吾氏に民主主義に関する本を薦められて読んだ。
民主主義となり、教員に適格検査が課せられた。郡役所で、南濃県事務所から派遣された課長が実施した。大久保源吾氏から軍隊式の
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飯田と飯積では、小畑川をはさんで子供同士の仲は悪く、飯田の子は燈明の少し深みのある川で遊び、飯積の子は小畑川の圦から見える所で別々に遊んでいた。
西脇光次郎氏は金屋の大地主で、かなりの力を持っていたが、牧田川の改修工事で傾いてしまった。江戸時代の幕府領の庄屋は自普請で改修工事を行わなくてはならなかったためである。

金屋は細長く、向野までつながっていた。
金屋・直江・飯積の三村それぞれが飯積輪中の水を小畑川に流すための樋管を持っており、三ケ村樋管と呼ばれていた。2010年現在も大垣養老高校(祖父江向野1418-4)の西側に存在する。
金屋は、金屋燈明の所から樋管を通し
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