金屋の鋳物師と直江の鍛冶屋
現在の宇田の北、御霊神社を中心とした安久の辺りは、昔は金屋の金入(かないり)という地名だった。そこに鋳物の生産地があったが、関ヶ原の合戦の時には既に金屋の鋳物師たちは、この地にはいなかった。なお、名神高速工事の際に鉄滓が出たのはこの安久の付近である。 谷汲山 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
多芸東部
現在の宇田の北、御霊神社を中心とした安久の辺りは、昔は金屋の金入(かないり)という地名だった。そこに鋳物の生産地があったが、関ヶ原の合戦の時には既に金屋の鋳物師たちは、この地にはいなかった。なお、名神高速工事の際に鉄滓が出たのはこの安久の付近である。 谷汲山 [...]
南直江のあたりには欅(けやき)の巨木がたくさん生えていた。多芸橋周辺にはたぶの木が多かった。 たぶの木は成長が早く、どんどん水を吸って大きくなる。年数と木の大きさは無関係である。
以前の正式名称は多芸郡金屋村太夫田(たゆうだ)だったが、合併により養老郡養老町金屋太夫田になった。金屋という地名が行政資料に現れるのは明治6年(1873)に記録された資料が最初だが、関ヶ原合戦時の合戦上の一つとして金屋川原の戦があることから、地名としてはかなり [...]
直江に2反(約1,983 ㎡)ほどの縄の内という地名があり、島田地区の飛地である。 江戸時代には直江の人々が水がつくのを避けて南から北に移り始めていた。杉野家では元々土地が高く整備されていたため移住はせず、南直江には地主4軒のみが残った。村はもとは全部南直江 [...]