タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

小畑 | タギゾウくんの養老ノート | Page 14
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小畑

小畑地区の土地改良

戦前に土地改良のために昭和19年から20年頃に農兵隊が来て作業にあたっていた。食糧増産のための国策として、飯積輪中内の池や沼を向野地内の畑土で埋め立て、農地の造成を行っていたものである。農兵隊は飯積や直江の寺に泊まっていた。 農兵隊は14~15歳くらいの少年 [...]

祖父江の向野

祖父江にも字向野という飛び地がある。祖父江・直江・江月の中で、正式に字名となっているのは祖父江の向野のみである。養老町史によれば、祖父江字向野は、元和8年(1622)に、祖父江の飛び地となった。 祖父江の向野には農兵隊がいた。農兵隊が池の埋め立て工事を行って [...]

戦争と教育

兵役から帰った人の中には戦争犯罪人とされ、教壇には立てなかった人もいた。当時の教頭、大久保源吾氏に民主主義に関する本を薦められて読んだ。 民主主義となり、教員に適格検査が課せられた。郡役所で、南濃県事務所から派遣された課長が実施した。大久保源吾氏から軍隊式の [...]

江月の向野

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江月に地元で俗称として向野と呼ばれている地区がある。 江月の向野に広い高台の土地があったが、昭和初期には江月の土地改良の埋め立てに使われて、なくなってしまった。大垣養老高校東側の細長く伸びた直江の区画は、その高台の名残である可能性がある。 牧田川の河川流量 [...]

直江の向野

昭和の始め頃、一番最初に直江の向野に移住して来たのは明徳村出身の細川次郎氏だった。その後、宇田・柏尾・明徳などから人が移住してきて集落が出来た。柏尾や明徳からの移住者はおそらく細川氏が連れてきたのであろうと思う。 向野村は9軒だった。その後、亡くなられたりし [...]