戦前に土地改良のために昭和19年から20年頃に農兵隊が来て作業にあたっていた。食糧増産のための国策として、飯積輪中内の池や沼を向野地内の畑土で埋め立て、農地の造成を行っていたものである。農兵隊は飯積や直江の寺に泊まっていた。
農兵隊は14~15歳くらいの少年たちであった。現在も生存者が3~4名(2010年現在79~80歳の人で)地元地区にいる。
作業はトロッコを使って行っており、上江月の人がトロッコの機関車を運転していた。
表示位置は飯積輪中内の池や沼があった場所を示している。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
小畑地区の土地改良
戦前に土地改良のために昭和19年から20年頃に農兵隊が来て作業にあたっていた。食糧増産のための国策として、飯積輪中内の池や沼を向野地内の畑土で埋め立て、農地の造成を行っていたものである。農兵隊は飯積や直江の寺に泊まっていた。
農兵隊は14~15歳くらいの少年たちであった。現在も生存者が3~4名(2010年現在79~80歳の人で)地元地区にいる。
作業はトロッコを使って行っており、上江月の人がトロッコの機関車を運転していた。