養老町全域

美濃の中道はいつ頃からあったのかは不明であるが、室町末期には消失したと思われる古道である。美濃の中道がいつ頃山家道(やまがみち)と名称が変わったのかも不明であるが山田用水の牧田川取り入れ口のすぐ下流側の道を九里半街道山家道とよんでいた。
沢田から乙坂に渡って
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養老町の橋爪は昔から水に苦労していた。また、日吉地区の下流の地域は、特に排水に苦労していた。
象鼻山の南側の麓に、絶対に枯れない小さな泉があった。A氏が子どもの頃の昭和初期に旱魃がくると親に頼まれてやかんを持って水を汲みに行った。
川の水は上流でチフスや赤
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丸毛兵庫頭(まるもひょうごのかみ)は明応5年(1496)に多芸の大墳城主になった。兵庫頭は秀吉に願い出て、福束城(輪之内町福束)を与えられ、領地も1万石から2万石に増えた。自分の妻・丸毛不心斎(まるもふしんさい)女房(61、62歳)を関白秀次の妾として出してい
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養老町の三方山山頂にある牧場の少し下にあせび平という場所がある。この辺りはなだらかな斜面になっており、昔スキー場があった。
養老公園内にある「親孝行のふるさと会館」前の土産物店の店主であるA氏のお父様が現在の妙見堂のあたりでスキーの貸具をしていた。
養老白
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神戸文左衛門(かんべぶんざえもん)氏は愛知県海部郡神戸村の出身である。愛知県には最近まで神戸村のような小さい部落が残っていた。神戸氏は愛知県でもかなりの資産家だった。
昔は掬水(きくすい、養老公園1286-1)さんの階段の傍の東側の角に神戸文左衛門氏が作った
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