烏江の生業
烏江地内、金草川の作造橋(さくぞうばし)の北には大正末期から縄打屋が3軒ほどあったが、現在は1軒だけが縄屋を続けている。縄は舟を繋ぐ、荷を縛るなど舟関連の仕事に必要だった。 縄屋のうち1軒は、昭和には綿ロープやタオル屋に商売変えした。 かつて烏江湊のおかげ [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
養老町全域
烏江地内、金草川の作造橋(さくぞうばし)の北には大正末期から縄打屋が3軒ほどあったが、現在は1軒だけが縄屋を続けている。縄は舟を繋ぐ、荷を縛るなど舟関連の仕事に必要だった。 縄屋のうち1軒は、昭和には綿ロープやタオル屋に商売変えした。 かつて烏江湊のおかげ [...]
烏江という地名は、渡来した中国人が中国の「烏江(うこう)」という土地と風景が似ているためつけられたと伝えられている。 近鉄の線路を境に、線路の北側を北屋敷、南から排水機辺りまでを中屋敷、そこから南を下河原といった。
瀬田輪中水防組合の事務所が、八幡神社(烏江)の真東の堤防沿いにあった。瀬田輪中水防組合の看板が現存している。 烏江輪中堤防の高さは、烏江西の新除川橋(しんよげがわばし)の北側に昔定杭があり、そこを基準とした。 高田落江からは牧田川へ水を落としていた。 金 [...]
烏江で伊勢迎えをしていたという記憶はない。 1月第3週の日曜日頃に八幡神社の境内で左義長を行う。粥占いは5年程前までは行われていたが、現在は行っていない。 粥占いと左義長は同じくらいの時期に始められた。 虫送りは昭和20年代は行われていた覚えがある。八幡 [...]
烏江の燈明は八幡神社(烏江)の南側にある。 北屋敷の燈明は養老線烏江駅の近くにある。中屋敷の燈明と下川原の燈明は八幡神社(烏江)へ移転したとのことであるが、踏査では見つからなかった。