山田医院
山田医院は、養老町大巻高柳出身の山田貞策の子孫が経営する病院である。一時山田医院は貞策が建てた修徳館(しゅうとくかん)で開業していた。 昭和に入ってから揖斐川の堤防補強工事により修徳館の土地を提供しなければならず、養老町外へ移転した。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
経済
山田医院は、養老町大巻高柳出身の山田貞策の子孫が経営する病院である。一時山田医院は貞策が建てた修徳館(しゅうとくかん)で開業していた。 昭和に入ってから揖斐川の堤防補強工事により修徳館の土地を提供しなければならず、養老町外へ移転した。
養老町大巻高柳出身の山田貞策(やまだていさく)は大巻村村長・養老郡郡会議員・岐阜県議会議員などを歴任された。様々な公的機関の役職を船附の谷金吾(たにきんご)と共に務めた。 山田貞策は谷金吾ととても仲が良く、二人で組んで様々な事業に携わった。西濃印刷は谷金吾が [...]
大正末期の水害がきっかけで地主に年貢米を払えなくなり、三ツ屋で農民による暴動が起きた。A氏が生まれる前のことである。三ツ屋の地主であるA家へ、大場の方たちが鋤鍬を持って押し寄せてきて暴徒化した。百姓一揆に近いもので、A氏のお母様は子供を抱えてとても外に出れるよ [...]
伊藤重松(いとうしげまつ)氏は養老町下笠三ツ屋出身の篤農家である。 戦争で食糧難になると硫安(りゅうあん、硫酸アンモニウム)が少量ながら配給された。その硫安をどのように有効に使ったら米がたくさん取れるかという研究があちこちでなされた。笠郷地区の篤農家(とくの [...]
下笠の輪中堤防は昭和27年(1952)頃の土地改良の時に周辺の池を埋め立てる土を取るために取り壊された。堤防は非常に堅く、そうとう突き固められていた。埋め立ての土が足りた時点で堤防の取り壊しが終わったため、三ツ屋から大場の八幡神社までの範囲が取り払われた。