経済

養老室原の色目には水車小屋があったようである。

新宮(しんぐう)東は荒れた土地だった。
桜の里辺りは墓地などがあり、牧田川の決壊の影響か瓦礫だらけだった。

綾野~大野~室原北~新宮~岡ヶ鼻を通る多良街道があり大垣古道ともいう。しかし、現在道標は残っていない。
綾野渡より室原に向かって西に直進する道を中道といい、それと平行する泥川の堤防道を東へ行き、大野の前へあがるのが昔の多良街道である。大正3年(1914)の土
[...]

こおり柳の皮を子供に剥かせて一束何銭かで梱包材として使用するために買い取ってもらっていた。
冬期はわら細工により収入を得ていた。
小豆はかつて米より価格が高く、農家の副業として泥川堤防に植えていた。
室原には生糸市場もあった。
政府が強制的に米を買い上
[...]

大正年間(1912-1926)に栗原(現垂井)に農民一揆が起こり、小崎県令が当時の有力者である鈴木治左衛門氏に相談し、鈴木氏は栗原の仲裁役を果たした。栗原にはその時の2m位の農民一揆の碑があり、当時の様子が記されている。