経済

当初、有尾樋管は作られておらず、自然排水を行っていた。標高70cm程の高さまでは津屋川の逆水を水田の用水として利用できた。

景陽寺(養老町高田215-2)は、親鸞を開祖とする浄土真宗の真宗大谷派の寺院である。昭和29年(1954)に発行された「たか田」に掲載されている景陽寺の沿革によると、開基は天文8年(1539)、釈了知(しゃく りょうち)による。釈了知は三河の国堤(つつみ)村の
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蛇持は標高が低く、水害を受けやすかったが、色目の排水機ができてからはそれもなくなった。蛇持の西側に南北に除(よげ)が通っており、大水が出ても色目川へ排水される。

尾張竹ヶ鼻代官石河(いしこ)氏の配下で佐藤正太郎氏が飯田村の庄屋を務めていた。
佐藤正太郎氏が小畑村の村長を務めた時期もある。佐藤家の本家は長野県松本にある。

蛇持村庄屋の佐竹光次郎氏は、3代か4代は続いた。佐竹光次郎氏は米が取れないときに関ヶ原から米を調達したこともある。現在は庄屋の家系とは無関係の佐竹氏が、跡地に住んでいる。庄屋の佐竹家は子供がいなかったため、断絶した。了覚寺住職によると昭和初期頃に庄屋の家が競り
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