タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。

経済 | タギゾウくんの養老ノート | Page 44
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経済

上多度の戦中戦後

一色で、戦争中は灯火管制で布をかぶせてカンテラを使っていた。村で、戦時にラジオを持っていたのはお金持ちの家くらいだった。玉音放送を聞いて、下多度村(海津市南濃町)の婦人会長さんが「日本は神国なのに負けてしまった」と泣いていたのを記憶している。 大東亜戦争と支 [...]

栗田勘四郎源光実

永正元年(1504)に栗田勘四郎源光実が滋賀県江州から移ってきて、有尾を開拓した。 栗田勘四郎源光実氏は、四男であったため有尾に出されたのではないかと考えている。平成22年(2010)の当主は13代目で、八幡神社の隣に居を構えている。下池開拓に力を注ぎ、下池 [...]

直江谷の伊勢湾台風被害

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昭和34年の伊勢湾台風と集中豪雨では、直江谷(大字白石字小谷山)が荒れた為、その下流の水田が被害を受けた。鷲巣の水田の稲は2度水が浸いた為にほぼ全滅した。残った稲を刈り取ったが腐ってしまっており、町から配給を受けて1年間凌いだ。

一色の利水

昭和33年頃に一色に簡易水道が作られた。一色の辺りはつい最近まで簡易水道を使っていた家が多い。平成22年の8月までには一色全戸の上水道への水道工事が終わる。昔は山の上に浄水場があり、貯水槽から水を取っていた。風呂水などは谷水を使っていたが、カニやらミミズやらが [...]

金草川

金草川はコンクリートの水路になってしまったため、蛍がいなくなった。 島田に比べて押越は禄高が低くて堤防が高くできなかったため水に浸かりやすい。特に押越の西部の土地は低い。伊勢湾台風の時は養老鉄道まで水に浸かった為、金草川に樋門を作った。 昭和30年代に、水 [...]