上多度の戦中戦後
一色で、戦争中は灯火管制で布をかぶせてカンテラを使っていた。村で、戦時にラジオを持っていたのはお金持ちの家くらいだった。玉音放送を聞いて、下多度村(海津市南濃町)の婦人会長さんが「日本は神国なのに負けてしまった」と泣いていたのを記憶している。 大東亜戦争と支 [...]
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
経済
一色で、戦争中は灯火管制で布をかぶせてカンテラを使っていた。村で、戦時にラジオを持っていたのはお金持ちの家くらいだった。玉音放送を聞いて、下多度村(海津市南濃町)の婦人会長さんが「日本は神国なのに負けてしまった」と泣いていたのを記憶している。 大東亜戦争と支 [...]
永正元年(1504)に栗田勘四郎源光実が滋賀県江州から移ってきて、有尾を開拓した。 栗田勘四郎源光実氏は、四男であったため有尾に出されたのではないかと考えている。平成22年(2010)の当主は13代目で、八幡神社の隣に居を構えている。下池開拓に力を注ぎ、下池 [...]
昭和34年の伊勢湾台風と集中豪雨では、直江谷(大字白石字小谷山)が荒れた為、その下流の水田が被害を受けた。鷲巣の水田の稲は2度水が浸いた為にほぼ全滅した。残った稲を刈り取ったが腐ってしまっており、町から配給を受けて1年間凌いだ。
昭和33年頃に一色に簡易水道が作られた。一色の辺りはつい最近まで簡易水道を使っていた家が多い。平成22年の8月までには一色全戸の上水道への水道工事が終わる。昔は山の上に浄水場があり、貯水槽から水を取っていた。風呂水などは谷水を使っていたが、カニやらミミズやらが [...]