経済

大野村の庄屋渋谷代衛(しぶやだいえい)氏の屋敷は昭和36年に土地改良の時に取り払われて、田畑となった。平成22年現在、屋敷跡は稲荷大明神が祀ってある。
大野の庄屋渋谷代衛氏は5~6町歩の土地を持っていた。養蚕、消防、治安維持、教育に力を入れた。渋谷代衛氏の顕
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大野の用水は、土地改良後は牧田川の中にサイフォンを入れ、大垣市の杭瀬川から牧田川を経由して栗笠へと水を導き、栗笠~大野間の用水路を確保していた。大垣市は水の都と言われ、水が豊富で夏になっても川の水は切れた事は無い。
大野の一番北には、牧田川の水を流しだす江月
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大跡城は戸倉家のあたりにあったのではないかと考えている。戸倉家は随陽寺門徒であり、大跡の墓地に戸倉家の墓が残されている。寺院、神社への寄進は特になかったと思う。
戸倉氏は庄屋をやっていた時期もあったが、農地解放などで財を失った。

西岩道では寺小屋の話は聞いたことがない。
岩道の常性寺、大跡の西源寺には寺小屋があったが、飯ノ木はよく分からない。
広幡小学校の前身の時習学校は大跡の随陽寺を借りた。広幡小学校の初代校長は戸倉谷三郎である。
明治政府により富国強兵策として教育に力が入れら
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口ヶ島(くちがしま)の墓地は、元は金草川(かなくさがわ)の河川敷にあったが、増水すると水に浸かってしまい、堤防の上からお参りをすることもあった。お盆の時期にお参りができなくなってしまうこともあったので、金草川改修の時に現在の広幡小学校の裏手に移動した。この土地
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