西岩道では寺小屋の話は聞いたことがない。
岩道の常性寺、大跡の西源寺には寺小屋があったが、飯ノ木はよく分からない。
広幡小学校の前身の時習学校は大跡の随陽寺を借りた。広幡小学校の初代校長は戸倉谷三郎である。
明治政府により富国強兵策として教育に力が入れられた。1900年前後は4年生までしか学年がなかった上に、子供たちは農作業や家の手伝いがあったためあまり学校には行かなかった。
広幡に幼稚園が無いのは、幼稚園を作ったら保育園が成り立たなくなるためだと思う。その代わりに広幡の住民が子供を幼稚園に行かせたければ他の地区の幼稚園で受け入れてもらえることになっている。広幡の保育園は長時間保育(18時まで)をしているので、他地域からも申し込みは多い。ただし、小学校にあがる前になると友達を作るために地元の幼稚園に戻ってしまう。
広幡には、立身第一小学校があった。

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表示位置は隨陽寺を示している。