宇田の青年団
宇田の青年団は西勝寺が総元であった。社務所などを借りて会合を開いていたが、畳と板の間の二部屋があり新人は板の間にしか座れない等上下関係が厳しかった。追弔会(ついちょうえ)や敬老の日には二斗釜で湯立てのご飯を炊いたり、ごちそうを作るのが大変だった。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
日吉
宇田の青年団は西勝寺が総元であった。社務所などを借りて会合を開いていたが、畳と板の間の二部屋があり新人は板の間にしか座れない等上下関係が厳しかった。追弔会(ついちょうえ)や敬老の日には二斗釜で湯立てのご飯を炊いたり、ごちそうを作るのが大変だった。
岡ヶ鼻の辺りに軍人畑があり、畑の中に用水が通っていた。軍人畑は現名神S.A.の辺りにもあり、サツマイモを栽培していた。なぜ軍人畑と言われていたかは分からない。
北野神社の例祭は4月25日に行われ、馬頭観音を祀る馬頭さん祭りも兼ねている。 北野の馬頭観音、地蔵盆は西徳寺、西勝寺に交代で勤めてもらう。 昭和35年(1960)に北野天満宮・馬頭さんの神事は北野のみで行うようになったが、それ以前は宇田全体で行っていた。
豊の氏神である吉田神社は総本宮を京都に持つが、祭礼などは豊周辺の神社と同様に行われる。京都の吉田神社への代参はしていない。吉田神社の秋の祭礼では1970年頃まで手筒花火を打ち上げていた。吉田神社には神明神社が合祀されており、また天満神社が東に隣接している。本来 [...]
磁鉄鉱は養老山でも少量だが採取できるという意見があった。また、正覚寺(安久113)付近の、現在は名神高速道路の通っているところで金屑が発見されており、その辺りで釣鐘を鋳たのかもしれないといわれている。