大坪には共同の墓があり火葬が終わった遺骨のひとかけらを共同のお墓に納めてから遺族は帰宅する。共同墓は一畳ほどの御堂になっており、村民により永代供養される。当番は1年ずつ交代で務める。

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飯田に無縁墓地があり、石塔が置かれている。
飯田での葬式は、昭和30年代は遺影は無く位牌が祭壇の中心に置かれていた。

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村の東北に池があり、大蛇が住んでいたので地名を蛇持と名づけられた。
船で魚をつかまえに行った人が大きな魚と思った生き物(実は大蛇)の上に乗り上げた。降りられなくなってしまったが、謝ったら放してもらえた。南宮大社では大蛇を持って舞う行事があり、舞の中で口を開くしぐさがあるが、蛇持の方を向けては口を開かないのは大蛇に対する敬意の表われである。
なお、大蛇を持って舞う行事は現在は南宮大社の神事でのみ行われており、蛇持にはこの行事は存在しない。

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尾張竹ヶ鼻代官石河(いしこ)氏の配下で佐藤正太郎氏が飯田村の庄屋を務めていた。
佐藤正太郎氏が小畑村の村長を務めた時期もある。佐藤家の本家は長野県松本にある。

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蛇持村庄屋の佐竹光次郎氏は、3代か4代は続いた。佐竹光次郎氏は米が取れないときに関ヶ原から米を調達したこともある。現在は庄屋の家系とは無関係の佐竹氏が、跡地に住んでいる。庄屋の佐竹家は子供がいなかったため、断絶した。了覚寺住職によると昭和初期頃に庄屋の家が競りにかけられていた記憶があるそうである。

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