大跡新田の開発者は庄屋筋の戸倉家ではないだろうかと考えている。米がよく収穫できる土地であった。
大跡新田は農民によって開墾された土地である。
大跡新田の位置は宝暦年間(1751-1763)はまだ池であった。

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大跡(おおあと)は低い土地なので元々水がつきやすい。
大跡はかなり大きく、村の南に100町歩の土地がある。
大跡から高田へ抜ける町道の高さは今よりも高かった。昭和36(1961)年~昭和39(1964)年の土地改良の時に現在の高さになった。

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大跡では昭和30年頃は、村の行事や決め事は青年団が仕切っており、若衆宿もあったが昭和40年頃に解消した。

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口ヶ島の盆踊りでは、8月14日に先祖を思いつつ広幡音頭、郡上踊り他を踊る。日付は絶対に変えない。600人程度が参加する。団扇に抽選番号を書いて参加者に配ったり、子供用に金魚すくいで使う金魚を大垣で700匹購入する。飲み物を用意してバザーを行い、参加賞も配る。

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大跡では5班に別れ、班ごとで毎年順番に班の当番が伊勢へお参りする。午前中に伊勢へ参拝し、午後から左義長を六社神社境内で行いつつ、代参者をお迎えする。お迎えは社務所で行われるが、昔は宿があった。現在は12月中に神職がお札を持ってくるので、希望者にお札が渡される。前年のお札は左義長の時に燃やされる。
静岡の秋葉神社へのお参りも行われていた。

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