柏渕家の縁により、下河原の車山は愛知県清須市から買った。文書等は残っていないが、柏渕家が費用を出していたと思われる。浴衣3枚の衣装の保管、維持や休憩所の提供も柏渕家が行っていた。
西町車山の台車は長浜のものである。長浜の大工が高田に来て台車を作った。西町の後に、中町と東町が名古屋から車山を購入し、その後下河原が車山を作っ た。車山を購入する際に、西町が下河原、中町と東町に基金を出した。
火事で3町内全ての山車が燃えてしまった時に、西町は長い時間をかけて今の山車を再建したが、下河原は高田祭りのために長良もしくは名古屋から山車を探して買ってきた。その世話をしたのが地主である。
高田祭りのときに西町の車山が商店街の西端を直進せずやや南の道に入るのは、祭りの当初通っていた道 を今も進んでいくためである。
現在の柏渕家の建物は享和3年(1803)に急ごしらえで車山会所を兼ねて建てられた。その後、40年ほどしてからきちんと建て直した。現在は古くなってきたため天井に目隠しを兼ねてベニヤ板を張ってあるが、一部吹き抜けのままにして、2階部分に高田祭りの道具他の資料を保存してある。また蔵の中には寄り合いで使った什器などがあり、戦前までは出し入れしていたがその後出した記憶がない。
各家の前に張る幕を新しくする際に小さく、他の家のように色のついたものに変えようとしたが「古式に則って、白にするべきでは」と反対された。白地に家紋など、家格によっても幕の様式には決まりがある。
表示位置は柏渕家を示している。