伊勢湾台風後に、田地区を取り囲む輪中堤防を切り崩した土を使い、7億の予算で耕地整理を行った。その際堤防は6mから3mに切り下げられた。また、サンドポンプによって土砂を吸い上げ、堀田を埋めて耕地を整備した。完成記念碑が田地区内にある。
伊勢湾台風の時には田地区の集会場の30cm下まで水が来た。集会場は高くなっているが、集会所の南約50m辺りで海抜30cmである。
有尾では昭和34年の集中豪雨と伊勢湾台風の時にはほとんどの家が2階まで浸かった。津島街道の堤防は、海抜5mの高さがあるが、4.9mぐらいまで水が来た。災害後、五軒屋の人が志津の方に移ったり、横屋で家が流された1、2軒の人が一色に移って行った。差はわずかだが、集中豪雨の方が伊勢湾台風より水位の上がり方が大きかった。
横屋の地震被災後、家屋の倒壊を恐れて2階部分を低くした家屋が建てられたが伊勢湾台風により浸水した時には、2階に上げた物を窓から出せず、屋根を破って外に出した。
蔵に仏壇等を預けにくる方がいた。横屋のA家は家では津屋川の堤防と同じ高さに蔵が建てられていた。
小倉は、伊勢湾台風で田が全て水に浸かり、その年は全く収穫できなかった。根古地と有尾、田、横屋の辺りでは浸水した水位にあまり差が無かった。
有尾では伊勢湾台風の時に鴨居の上まで水が来ている家があった。
昭和34年の伊勢湾台風と同年8月の集中豪雨の頃に5、6軒が横屋から一色に移動した。

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表示位置は土地改良完成記念碑を示している。