有尾の堤防(大字有尾字稲川地内)は約70年かけて慶長5年(1600)に築造され、明治期に2回ほど決壊している。有尾から田まで延々と松が3000本ほど植えられていた。
有尾の堤防を築造するための土を横屋あたりから採掘した為、終戦頃までは堀田や池が多く作られた。土は神楽桟(かぐらさん)又は神楽巻(かぐらまき)という、現代でいうウインチを使って運ばれた。
有尾の堤防は7m80cm程の高さがあるが幅は狭い。堤防上は風が強く吹き抜けるので、夜に歩くのは怖いようなところだった。終戦前に松は切られ、地震で倒壊した家屋の修復や新築に使われた。
表示位置は有尾輪中の堤防を示している。