玉泉寺には古い地蔵や落武者の墓がある。前住職は揖斐川町の谷汲山華厳寺で管長をしていた。玉泉寺は寛政6年(1465)創建の西徳寺より100年程前に開基されている。関ヶ原合戦の東軍についた徳永寿昌(とくなが よしまさ)・市橋長勝(いちはし ながかつ)・横井時泰(よこい ときやす)等と西軍についた毛利秀元(もうり ひでもと)・長曽我部盛親(ちょうそかべ もりちか)・長束正家(ながつか まさいえ)等が戦った、金屋川原の合戦にまつわる五輪の塔は現在、玉泉寺の墓地の真ん中にある。
玉泉寺では「金屋川原の合戦」の供養が毎年8月24日に行われている。
玉泉院、正覚寺とも戦時中の鉄の供出で鐘を出してしまっており、現在あるのは戦後に寄付により買ったものである。
表示位置は玉泉寺を示している。