金屋の区長が金屋の春日神社の氏子総代を務めることになっており、任期は2年である。総代が1名、会計が1名で祭事を執り行っている。現在は村の神社として祭祀をしているが、以前は、金屋の春日神社は西金屋だけで祭祀を行っていた。
金屋の春日神社の由緒については、はっきりとしない。奈良の春日大社と直江の春日神社との何らかの関係性もあるのだろうが、明確ではない。金屋の春日神社の西側に石碑やお墓などがあったが、全てを玉泉寺(金屋54‐1)に移動した。金屋の春日神社の隣に御井神社が遷座してきたのは、単に春日神社の西側の土地が空いていたためである。
金屋の春日神社に植わる椋(むく)の木を切ると怪我をしたり、切り口から赤い汁が出る、という言い伝えがあって、道に張り出してきた枝を金屋の人はもとより、養老町としても切ろうとしなかった。椋の木を重機でひっかけて折ってしまったため切らざるを得なくなり、結局、建設省がお祓いをして切ったら、根元にはいつの時期か分からない合戦時の多くの遺骨が埋まっていた。作業の前後には玉泉院で弔いをした。

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表示位置は金屋の春日神社を示している。