栗笠の有力者、佐藤家がいつまで続いていたのかは分からない。また、当時の遺構などは残っていない。福地神社には佐藤家が寄進したものは残されていない。
須賀神社から市神神社までの道を「町通り」と呼んでいるが、文化3年(1806)の村絵図には「町屋通り」と書かれていた。町通りの北側は全て佐藤家の屋敷だった。須賀神社と市神神社の位置は変わっていない。

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表示位置は栗笠の有力者佐藤家の御蔵跡を示している。