船附では寛文4年(1664)頃に安田弥兵衛(やすだ やへえ)が船問屋として栄えた。
大垣市、船町の安田絹氏の実家は、濃尾震災にも耐えた。
絹氏が嫁入りした時、昭和30年代は、嫁入り姿のまま船附の尊光寺、法覚寺の2箇寺へお詣りに行った。
絹氏は大垣の八幡神社で式を挙げた。お嫁さんを見に集まった子供たちに煎餅を配った。
絹氏が船附に来た頃、昭和30年代は、宿屋・喫茶店・菓子屋・下駄屋・八百屋など多くの店が軒を連ねていたが昭和20年代頃から廃れてきた。
船附は文化人の往来も多かった。蔵が多くあり、今でも残っている所がある。
大雨のときは安田絹氏宅の蔵に近所の方が仏壇を預けにきた。
養老町内には「船附」と「船著」とあるが「船著」の方が古いとされている。
谷木因選集は養老寺に有る。養老町の指定文化財である。
表示位置は船問屋安田弥兵衛居住地跡を示している。