平成22年現在、下笠には昔からの家とその分家、他地区から来た家を合わせると36戸数ある。下笠1457の家の北側は下笠代官屋敷跡である。さらにその北側は昔の刑の執行場があった。
中島家は、代官として現在の美濃市から養老町下笠に来た石原清左衛門氏の家臣団の内の一家だった。石原清左衛門氏は美濃市の清泰寺(せいたいじ、美濃市殿町1439-1)に菩提寺がある。石原氏は養老下笠の後は四日市、大津へと移っていったが、中島家のように、養老町にとどまる家臣もいた。
税を取り立てる代官側と税を払う住民側では中々うまくいかなかった。早戸神社は下笠字西江下に祀られており、代官石原清左衛門が崇拝していた。そのため代官の住む東地域がお祭りの中心になっていたが、明治に立場が逆転した。その時に石原氏が早戸神社も地元の人に委ね、独自に素盞嗚(すさのお)神社を祀った。
石原清左衛門の家臣、小野氏、北垣氏が下笠を管理していた。
揖斐郡池田町沓井にも下笠と同じような岡山藩の元代官と住民の関係がある。
下笠には代官石原清左衛門についてきた家臣団も住んだ。江戸時代に武士だった家が、後に地主となった家も多い。

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「下笠代官所(田中育次 著)」参照。 表示位置は下笠代官屋敷を示している。