中世より前は、桑名から揖斐川を通り、潮の上がりに乗って下笠の市場千軒(田村の東側)まで木材などを運んできていた。やがて徐々に川底が浅くなり、江戸末期には舟運が不可能になった。
昭和初期、大垣市の船町から船で潮干狩りに行くのがとても楽しみだった。船附湊のあたりは周りがよく見えないほど葦がたくさん生えていた。
大垣から伊勢までは、松尾芭蕉も船で移動した。
室町時代(1338-1573)の頃から堤防が作られ、船運も開かれ、江戸時代より新田開発され輪中が発達した。
下笠輪中は養老町でも最も古く、元和元年(1615)年に形成されている。
表示位置は船附湊の辺りを示している。