早戸神社(下笠)の創建年代は不詳である。祭神は不詳だが、手力雄命(たぢからおのみこと)ともいわれている。
早戸神社は下笠の中と北でお守りをしている。中は平成22年現在は西・東・中村・和田・中島に分かれるが、昭和20年代は東は仲間にいれてもらえなかった。お祭りも、他は10月4日だったが、東だけは次の日にやった。伊勢湾台風前後にお宮の改築をしたが、それをきっかけに仲間に入ったと「養老町の文化財」に記載あり。
下笠の早戸神社の秋祭りは10月の第1土曜日である。
下笠ではデンガラカシの打ち手がたくさんいる。
デンガラカシは一曲のみで、下笠地区では中島地域が熱心に太鼓に取り組んでいる。
西・東・中村・和田・中島などの部落がそれぞれ自分の部落の太鼓を引っ張って、笛を吹きながら練り歩く。時間を決めて合流し、全員揃ってお宮に行く。白川、どじょう、デンガラカシの3種類の踊りがある。
栗笠の富永ヒデコ氏(漢字不明)が太鼓の指導を学校で行っている。
また、秋祭りでは書き行灯を組み立てて、絵を描いた。
A氏が係りになった時に、子供に参加させて願い事などを書かせた。それまで、昭和20年代は大人の行事だった。やがて青年団の作業となり、青年団が無くなってからは村の人の作業となった。
書き行灯は、昔は全部で24張り釣って、太鼓の合図で落として奪い合いをした。中々まともな形のものは取れなかったが、取れたものは床の間に飾った。この行灯の奪い合いがどういった経緯で始まったのかは不明である。
書き行灯は昔は左義長で燃やしていたが、今は左義長を行っていない。
下笠では10月5日の早戸神社の祭典準備で、10月1日から集会所に若い衆が詰めた。祭りの後は後始末をするが、家に帰ると仕事で使われてしまうので、1週間泊まり込みで行った。祭典費用は、和田には4軒とその4軒の分家が3軒あり、計7軒でほとんどの費用を出した。その費用で、食事などを賄った。
昭和20年代~30年代は、年末年始の31日、1日は社殿が開いており、青年団(神社係)が盗難防止のため、泊まり込みで不寝番をした。泊まり込みの時の食事は、地主の家から御馳走を重箱に詰めてもらった。野菜が多く、芋、蓮根、蒟蒻などの煮付けだった。
1月1日は篝火をたいた。

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祖父江にも同じような風習があり、村の上役・為政者の風靡をした川柳などを書いた。これに関しては何を書いても許された。ただし、灯籠の枠の下に横木をかけて紙を張って書いた。 表示位置は下笠の早戸神社を示している。