広幡では土地改良は伊勢湾台風の影響が大きい。広幡地区内の事業費が3800万円程度であった。
工事の大部分が人力で行われ、日当が280円~800円程であった。
昭和34年の伊勢湾台風により、農家が大打撃を受けた。農業収入がゼロの年が続いたため、国により昭和36年に救農土木事業制度が設けられた。この制度は専業農家の救済を目的としており、広幡でも専業農家が多かったため、農業のかわりに土地改良工事に働きに出て収入を得ていた。
海津町高須が先に耕地整理を行い、A氏が海津町の耕地整理で使用された中古のトロッコ牽引用ディーゼル機関車を安く入手した。
大跡周辺には堀田や池が3か所あり、それらは下笠輪中堤防の土で埋められた。土地改良よりも前の話である。
大跡の水田は高低差がなく耕地整理の時、1枚の広さが8反の田んぼを水平に作ることができた。
平成の土地改良案では大跡住民の98%以上の賛同があったが実現には到らなかった。

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表示位置は下笠輪中堤防の土で埋めた堀田や池があった場所を示している。