白石ではミカンの生産量が多く、戦時中は米と交換することもあった。昭和43年か47年に「養老町ミカン組合」を設立し、京ヶ脇と柏尾を合わせ会員は43名の大所帯であった。2010年現在は、収穫したミカンは高田の人が買付をしジュースに加工される。
養蚕は昭和30~40年まで行われていた。ほとんどの世帯が養蚕で生計を立てていた。山麓園(柏尾583-9)のあたりは桑畑だった。終戦前までは、他所へ勤めに出る者はほとんどおらず、若者は林業に従事していた。
北井戸、口郷のあたりの水田10反程と、林業で生活していた。

Posted in 経済, 養老 | Tagged | Leave a comment
表示位置は白石青少年センターを示している。