上方の白鳥神社の神宿の起こりとして、以下の話が伝わっている。神社から鰐口を盗み出した盗人が牛谷(上方)まで逃亡したところ体の自由を失い、動くことができなくなった。盗人が鰐口を戻すと許しを乞うたところ、体が動くようになった。それ以降盗難を危惧する氏子が神社に変わって個人宅で神様の守をするようになり、神宿と呼んだ。
神宿制が始まってから1000年以上は経つのではないかといわれている。
2010年現在も神宿では鰐口が奉られている。
現在60代半ばのA氏が昭和52年にも神宿を勤められ、平成21年度にも2度目の神宿に選ばれた。
近年では近くの日曜日に設定されるが、本来は11月18日に次の神宿を決める「お宿替え」儀式が白鳥神社にて行われる。朝6時、手で裂いた障子紙に氏子の氏名を書いてお盆に並べ、神官が障子紙の上を御幣で撫でる。御幣にかかった障子紙の氏子が次の神宿を勤める。女性のみの所帯とその年に不幸があった家は神宿の候補から除外される。次の神宿が決まると、すぐ前の神宿の者が使者となりその結果を本人に伝え承諾を得る。新たに神宿に決まった者は酒1升を持ってすぐ神社に駆けつける。この儀式の際の装束は昔(昭和52年)は紋付袴であったが、2010年現在は黒の礼服を着用される。神宿の氏子がその年の神社の清掃、祭礼等や祝祭日には日の丸を揚げる等の世話をし、備品等も預かり、管理をする。神事に関して、一切女人禁制である。
12月1日の白鳥神社の感謝祭が神宿としての初仕事となるので、それまでに大安の日を選んで前の神宿から次の神宿へ「神宿移し」を丑の刻(午前2時)に行う。この神事に関わる者は水風呂で身を清め、神宿移しの神事が始まってから終わるまでマスクを着用し、一切口をきいてはいけない。次の神宿の者の首に白布に包まれた鰐口が掛けられ、前の神宿の者が提灯に明かりを灯し次の神宿へ道案内の先導をする。この際、縁側から出入りされ家族全員で出迎えと見送りをする。
神宿では床の間の天井から紫色の幕と幕房を掛け、床板には白布を敷いた台の上に御神酒・御供えを乗せた三宝と御幣を掛けた榊を置く。幕の奥には新藁(しんわら)で編んだ手製の菰(こも)を掛けた上に鰐口が掛けられる。この時も一切無言である。
神宿が遷されると御祝いとして結婚式以上に村中に食事を振る舞った。最近は親戚内で行われる。
神宿の家族は、世帯が別であっても神宿の間中は獣肉を一切食べてはならない。殺生を禁ずるということからではないか。但し鳥は食べてもよい。
身内や部落内に出産・葬式があった場合3日間は「別火(べつび、べっか)」といい、神宿の者は自分で煮炊きしたもの以外は茶の一杯であっても一切口にしてはならない。煙草の火の貸し借りも禁じられる。
神宿に不幸があった場合、喪が明けるまで神様を前の神宿に戻す。
神宿の一年間、その家の女性は鰐口をお祀りしてある部屋や家の2階には上がってはならない。これは、神様を足の下にしてはならないということである。
本殿が9尺、神明社が7尺、御神木用等合計5本の注連縄(しめなわ)を町内の班に依頼して作り、12月29日まで神宿の家で筵(むしろ)の上に塩で清めて保管する。また、「ホオカップ」という茶碗程の大きさの器を藁で作成する。
鏡餅は神宿が作成する。女手は一切禁止であるのでA氏は本屋から男手を連れてきて鏡餅を作成した。鏡餅には注連縄、橙(だいだい)、昆布、炭、スルメ、ユズリハ、エビの7種が飾られる。
12月31日の午後3時頃から神宿の当主は水風呂で身を清め、鰐口をお祀りしてある部屋に籠り3日間一切無音で過ごした。ただし、2010年現在は1日だけ部屋に籠る。部屋には何人も立ち入ることはできない。
朝昼晩と神様にお供えをするが、品は決まっており、朝・夕は1センチ角の餅、・ボラの刺身、御神酒である。昼は御飯とボラの刺身を三宝に乗せて正装で神社に持って行き、本殿で参拝した後、箸でホオカップに移し替えてお供えする。しばらく後にお供えを下げる為再び神社へ向かう。神社への往来も一切無言である。神宿の当主はお供えのお下がりと簡単な食事を部屋で自分で作る。
ボラは出世魚である為お供えされるのではないかと思う。
平成23年は雪が降ったので大変だった。三宝を掲げている為傘がさせず、息子に雪かき等を頼んだ。
昔は正月には神社に3段の門松を24本立てた。
伊勢神楽は上方では一番初めに神宿で奉芸を行った後、他の家々を回る。
昔は神宿は庄屋や地主が勤めていた。昭和38年から回り持ちで、くじに当たった人が神宿を勤めるようになった。
続けて神宿に当たることや逆に全く当たらないこともある為、神宿を勤めた物は次回の神宿のみくじ引きからは除外されるようになった。新興住宅地は神事とは関わっていない。
本来は10月1日、現在は10月第1日曜日の本祭りでは、夜通し火を灯して、泊まりがけで火を絶やさないように、神宿を合わせて15人ほどで夜明けまで寝ずの番をした。2010年現在は12時まで火を灯す。
神宿の者が最初に火を灯すのが習わしである。
10月15日には白鳥神社本殿の屋根が茅葺きであった為に、「御替え葺(おかえぶき)」という行事があったが、現在は行われていない。茅は山で採集し、イチジクの葉っぱで包んだ牡丹餅をふるまい、夜は神宿で宴会が開かれていた。
上方・白鳥神社の神明まつりでは本殿で提灯の火を神宿の者が点け、本殿から外へ順番に火をつけていく。昔はお参りに来た子供が提灯を持って帰り、次の祭りに持って来ることになっていた。
白鳥神社の由緒等の冊子があり、大正10年以降から神宿を勤めた方の名簿も残っている。

 

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表示位置は上方の白鳥神社を示している。