宇田には年中水が湧いている河間は多数あったが、昭和30年頃ごろまで農業用水の確保は困難であった。その為、当時日吉村長であった藤井良三(ふじい りょうぞう)氏が8インチと6インチの農業用水ポンプを一本ずつ設置して水不足が緩和された。
仁位で、近年田んぼの中央が陥没した。それは土地改良によって埋められた井戸の跡であった。土地改良以前は田の一枚ずつの面積が小さく、もとは田の脇に井戸を作ったが、土地改良により田を平坦に広くした為井戸の跡が田の中央になったのではないかと推測している。豊でも、昨年代掻きをしていたら一部分だけ地表に穴が開いた。町から調査に来ていたので原因はそちらに聞いてほしいとのこと。仁位と同じく井戸跡が陥没したのではないかと思う。
宇田東の宇田297の前から堀之内に向けて、川が流れていた。水源は宇田村に点在する湧水である。水路には常に湧水が流れており、水路付近で夕涼みなどをした。
宇田から200m程東に、昭和22,3年頃まで水車小屋(宇田1403)があり、米をついていた。水車小屋の南まで小畑川の堤防が伸びていた。喜多輪中は宇田の湧水も用水として利用されていた。
水が不足していても、夜に田植えをするとなぜか根が着きやすい為、夜田植えをした。

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1インチ=約2.5cm。 藤井良三氏=昭和年代の日吉村長。 表示位置は仁位の井戸の跡を示している。