番水制度という、田んぼに水を平等に引く為の管理制度があり、不正が行われないか寝ずの番を行っていた。見張り番の頻度は不明である。
番水制および日吉地区用水の資料については日吉の区長の引き継ぎ資料として保存している。
番水の見張りを行っている当番のところに、水を多く引いてもらうよう酒を持って行った、あるいは持って来たという話や、上流の橋爪から水をもらう為に、下流の宇田の住民が酒を持って挨拶にきた、といった水に関する話が養老町の至る所に多く残っている。
終戦の年に父親が亡くなり、男手が無くなってしまったため、お金を出して番水の当番を代わってもらえるよう依頼したことがあるという方もいる。
番水制度は土地改良が行われた昭和47年(1972)頃まであった。
昭和初期の頃、別所と新宮の間あたりには、用水が完備されていなかったため、いくら水を送ってもうまく流れなかった。

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表示位置は番水制度により、寝ずの番を行っていた場所を示している。