室原は滋賀県江州(ごうしゅう)、滋賀県米原、垂井町などとの関わりが強かったため、それらの土地の文化として文楽や車山が入ってきている。
特に室原文楽に関しては、近江からの薬売りが室原文楽の発祥ではないか(人寄せの為に芸を披露していた)という説と、土佐の薬売りが室原で病気になり村に留まり、お礼に文楽を広めたという説がある。栗原(現垂井町)に土佐の薬売りが留まっていた時期もあり、栗原にも浄瑠璃への関心が高まったと思われる。
室原文楽は元は男性が主として携わっており、文楽のメンバーは子供歌舞伎の世話にも携わっていた。文楽の練習は個人で行っていた様子である。人形使いの名手、青木久蔵(あおき きゅうぞう)氏の女形が印象的だった。
文楽の興業の際は、現在のものよりも小さな舞台をリヤカーに積み、多良街道を利用して、大垣市上石津町一之瀬、不破郡垂井町梅谷などへ出向いた。文楽は余興で上演されることが多く、興業のお礼として糸代(三味線方への寸志)や食事が振る舞われた。
室原では明治42年(1909)頃東光寺に在住していた田中けい氏が浄瑠璃の語りを教えたり、他にも長浜から師匠を招き文楽の上達に励んだ。浄瑠璃をたしなむ人が10人ほどおり、報恩講の夜のお勤め後に浄瑠璃が披露された。
大垣市歴史民俗資料館(大垣市青野町)に室原文楽で使われる人形と似たものが保存されており、一時期この人形が室原に移されていたこともある。

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表示位置は室原自治会館を示している。