飯田の子は、夏は小畑川の燈明さんの所で水遊びをしていた。水深の深い所もあったが全体的に浅く、小畑川用水の樋の所で水を止めてプールにしていた。
飯田、飯積の用水確保のために小畑川の西側に出来たダムでも泳いで遊んだ。
飯田は上流、飯積は小畑橋の側の下流で遊んでいたが、飯田の子が下流の方へ下って行くこともあった。小畑川の堤防の南側へ行くと大池がありヒシを取りに行った。
小畑川には飯積の子も遊びにくるので喧嘩ばかりしていた。飯田の子は飯積の子より人数が多く、上流で遊んでいる飯田の子に藻や色々な物を流されて水が汚れる、というのが飯積の子の言い分だった。
昭和40年代に、堤防の草をむしって遊んでいたら草に引っかかて川に落ちて溺れたことがある。上級生に助けてもらったが、誰もいなかったら、死んでいただろう。
昭和45年(1970年)まではこのような状況であったが、昭和45年に小学校にプールが出来、近くの河間が埋め立てられてきれいな水が流れて来なくなったので、川で泳がなくなった。河間の水は冷たくてきれいだったが、埋め立ててからは、水が汚れてしまった。

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表示位置は埋めたれられた河間があった所を示している。