昔、飯田は車山を所有していた。いつの時代にその車山がなくなったかは不明である。
車山が通るため、村の中には九尺道路(幅約2.7m)があった。普通は六尺道路(幅約1.8m)である。九尺道路も、車山が通る所までで、途中から六尺になっていた。八幡神社の元宮の場所も、西へ向かう道は広く、途中からせまくなっている。
昭和の半ば頃は、車山が通る道を車山道と呼んでいた。
表示位置は車山道を示している。
タギゾウくんの養老ノート・・・養老町で見聞きした様々な情報を、テキスト・画像・位置を基に掲載しています。
飯田所有の車山(やま)
昔、飯田は車山を所有していた。いつの時代にその車山がなくなったかは不明である。
車山が通るため、村の中には九尺道路(幅約2.7m)があった。普通は六尺道路(幅約1.8m)である。九尺道路も、車山が通る所までで、途中から六尺になっていた。八幡神社の元宮の場所も、西へ向かう道は広く、途中からせまくなっている。
昭和の半ば頃は、車山が通る道を車山道と呼んでいた。