山田貞策(やまだていさく)の没後、山田家が所有していた土地は、ほとんど農地解放により手放すこととなってしまった。
ご子息は山田家の墓地の隣を大巻の村人が寄り会う集会所として、集会所の隣の土地も「お墓がないと気の毒だから」と言い、高柳の共同墓地として村人に貸した。
大巻にある山田家の墓地の管理はお孫さんがされているが、敷地にゴミを捨てられるなどした為に現在はフェンスで囲い、入口に鍵を掛けている。お盆やお彼岸にはお墓に御参りされている。
山田家の墓地に、修徳館にあった灯籠や手水鉢などの品が移されている。
貞策の墓は大巻にあるが、分骨し福島県にも墓がある。貞策と奥様の墓碑が並んで配置されている。
大巻の山田家の墓地には山田家の先祖である山田正悦氏の墓碑があり来歴が刻まれている。
山田家の菩提寺は養老にある。
表示位置は山田家の墓地を示している。